あなたは、自分の感覚を信じているだろうか。
誰かに
何かを言われた時
何かをしていた時
その瞬間の体感覚をあなたは感じていますか?
私たち人は、感情と切り離すことができない生き物ではありますが
何か感情が触れた時、反応した時
そこに出てくるのは、体の反応です。
陰極まれば陽に転じ
陽極まれば陰に転ず
陰と陽って
全く逆のことを言っているように見えますが、
実は、視点が違うというだけで
本当は同じことを言っているんだよね
人の悩みの根源にあるのは
自分が
他の人との間において
価値ある人間かどうか
ということを比べてしまい
そこに、
言いがたい苦痛を感じているからこそ生まれる
自己価値という分野かもしれない
人は誰でも、
恐れというものを持っている
どういった拍子に、
その恐れに対峙するのか
うっぷって、
溝内をアッパーカットされたように
ひどい仕打ちだといって、
恐れおののき、避けたいの避けられず、
そして、心が折れてしまうのではなかろうか
恐れは、あなたの人生のどのような部分を占めているのだろう
しかし、恐れがあるからこそ
人は何かをしなきゃといって、噴気したり、解決の糸口を探したり
人は目の前に襲い掛かる恐怖と向き合い、自分自身を励ましたり
何かしら回避しようとするのである
どれくらい長い月日を共にしてきたのだろう
ふとした瞬間
おもわず今置かれている自分を眺めてみた
どれだけの時間を費やしてきたんだろう
あ、それもこれも、
いっぱいいっぱい考えてきた自分がいた
人は考えるしれものだ
ほんとはどんなに考えたとしても
正しい答えに行きつくわけがないのに
どんなに頭を巡らせ、計算をしても
そんなことをしても
ただの時間の無駄だということを
多くの人は知らないのである
リーダー、そして、カリスマ
それは、
同じようで同じではない
リーダーでありカリスマ的存在
リーダー的資質はあるけれど
リーダーシップは取れない
人は、何と比べてリーダーと呼ぶのか
そして、どういう人をカリスマと呼ぶのか
何か一つ、学びを終えると
それで満足してしまう癖がある。
基本、
知らないことを知ることが大好きな私は、
少々あきっぽい性格でもあるようだが、私の中にある何かが押された時、それはずーっとノメリ込み、とことん追求してしまうタイプであることは否めない。
「人生ってどこに向かっているんだろう~」
そんなこと、しばし考えたこともある。
ときどき、ショートトリップしたがるのは
自分のデザイン【個性】からなのか。
大概は、誰かと一緒にいくことの方が多いが、
最近、ようやく一人でもいろいろいけるようになった。
ちょびっと大人になったのかなww
私たちは、どこに向かっているのだろうか。
私たちは、生まれてから死ぬまで、何をするために生まれくるのだろう。
意図的なものでなくても、この世にいわゆる”生”を受けている人たちは、何かしらの”こと”をしている。
それを、言葉で表すと、役割だったり使命という言葉に当てはまるかもしれない。
人は、生まれた時から、常に選択というものに迫られています。
決断とは、
目の前にある案件や物(事)を、自分の意思で選択し、判断し決めるということ。
何をしたいのか。
どうしたいのか。
トランプのグッズを探していたら、「不思議な国のアリス」のページに行きついた。
今年は生誕150周年ということ。
そして、お誕生日が7月4日だということを知った。
いわゆる、アリスのキャラクターが誕生したのが「1862年7月4日」ということである。
著者のキャロルが友人の娘「アリス・リデル」に即興で読み聞かせたのが、この物語の始まりである。
ヒューマンデザインと出会って、本当によかったと思える瞬間がある。
それは、自分自身が、ただ自分であることを確認した時。
それは、自分が、自分の足でこの地に立っていることを自覚した時。
それは、私を正しく、生きていると実感した時である。
ただ、自分らしく生きるということに、自分の可能性を見出したり、ワクワクしてヒューマンデザインを取り入れたのに、いざスタートしてみると、どうしてもいろんな壁に打ち当ってしまうことがある。
そんな時。
あなたは頭の中で「どのように乗り越えていけばいいのだろうか。」と、小さくつぶやいているかもしれない。
私は、平凡だとか、普通だとか、そんなふうに他の人から言われることが多かった。
だから、私は、小さいころから、
「普通」というものが、
一番いい!
というふうにも思っていたのである。
誰かと、何かをどうしても比較してしまう。
それは大きく自分を卑屈にさせてしまう。
自分が、自分であっていいということ!
認めることができたなら、
どんなに楽になるだろうか。
私は、私と言えるようになることで、
周りの人も、あらゆる概念さえも許せるようになる。
人のこと等気にしない(+_+)
そんなことを言っているのではない。
ただ、私は私と言う人を生きていきたいだけなのである。
自分が生きていく中で、
人生の節目
感じること、ありますか?
自分が思い描いたもの、
理想と現実が、伴っていることがよい人生だと
思うことは普通かもしれません。
ただ、その理想は、あなた自身のものですか?
人と同じものを選んではいませんか?
世の中は本当にクリアです。
見たくないもの、知りたくないものでも、
必要であれば、必ず自分の元にやってくる。
あ~~そう、
いろんなものが目に入ってきてしまう。
見たくないものが、見えてきた時、
今、知りたくないものを知ってしまった時、
ドキってなっちゃいますね(@_@;)
2013年が明けました。
皆様、新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
さて、今年はどんな年になりますでしょうか?
それとも、どんな年にしたいでしょうか?
ヒューマンデザインの特徴の一つとして、
生まれた時間とその約3か月前の情報が
あなたの個性を決定づけてくれております。
パーソナリティーとデザイン
この二つの時間は、ある一つものが結びつけています。
その名は、「マグネティックモノポール」
私のデザインは、風のようで水のようなもの。
常に揺れ動かされ、揺られているかのようでいて、自分のコアなるものを見つめているもう一人の私の存在が横に
いました。
なぜ、自分自身で揺らされ、揺さぶられているのか、、、
なぜそのようになるかはわからず、、、いつも悲しい思い、
それとは裏腹に笑顔をつくり、無理なく生きているかのように過ごしていました。
でも、私は心の中で一人ボッチだったのです。
自分はどの星の元に生まれてきたのだろうか。。。
自分の使命や役割はどこにあるのか、と自分が生まれてきたことの意味を見つけたいと思っている人はたくさんいて、私もなぜかしらそれを探さないといけないのではないかと思っていました。
でも私には、探して見つけることは出来ても、それをやり続けることは無理だと実感もしていました。
そう私は、無理をしていました。
皆様、
こんにちは、Geneuine_UTENAのnaluこと、那流季与乃(武田清乃)です。
いかがお過ごしでしょうか。
さて私事ですが、この度 【Salon de UTENA】 を「金沢市もりの里」にて
オープンすることとなりました。
太陽のフレイヤが異常になっている模様。
本日3月9日は、少し気が張る日であります。
何かが起こると数日前から感じておりましたが、
こういうことだったのですね。。。
実際なにがおこったかというと
LYDのオンラインの最中に突然、PCが動かなくなり
マイクが切れたりして、操縦不可能となりました。
で、少し中途半間になりながらも、明日へ持ち越しとなった次第です。
そういえば、今日のお昼もおかしなことになっていたな。。。PC(;O;)
3月9日「トランスフォーメーション」の日
毎年何かが起こります。
誰かが時空のハザマというような表現をしていたっけ。。。
ほんの少し、いいイメージで星の運行を見守っていきたいです
先みえる物は自分の過去の産物
パターンを生き
自分の経験として活かしていく
過去の記憶=モノはよみがえり
新たなステージへ引き出され
自分が自分のことを受け入れる
目の前にある目的は
自分の方向性なのか
それとも
人から与えられたイリュージョンなのか。。。
まあ、なるようになろうか
新年、あけましておめでとうございます。
この一年が輝かしく、健やかでありますようお祈りいたします。
自分らしく生きることへの提案を通して、あなたの可能性を見出すお手伝いと、気付きのプロセスをご一緒に体感していきたいと思っております。
Genuine_UTENA は、さらなるステップアップをめざし、日々邁進していきます。
本年もよろしくお願いいたします。
nalu
自分のことはよく考えて決めなさい!
って小さい時に言われませんでしたか?
よく、考える。
考えて、本当にうまくいったことってどれくらいありましたか?
”なんとなくこれくらいなら、まあいいでしょう~”
という程度で納得していませんでしたか?
ヒューマンデザインには、オーラという言葉があります。
〇〇〇の泉でいわれた、何階層で何色でというものとは違うものです。
あなた自身が発する生まれ持った、空気感を表しております。
ヒューマンデザインを日々意識していると、毎日がとても自然体にいることが出来るようになってきます。
最初は、とても難しいように考えてしまうかもしれません。
というか、考えること自体が、自分のデザインとは、もしかしたら全く反対の方向に向かっているのかもしれない~~ということを理解しておく必要があるかと思います。
自分のデザインを生き始めることは、もしかしたらとても勇気のいることかもしれません。
それは、世間一般にいわれている社会風潮の波から、ある意味、遠ざかり、世間の人と違うことへの恐れを抱くことにより、人によっては孤立・孤独を経験してしまうからです。
でも、そこをわかってしていると、
だからなのだね~
やっぱりか~
と、急にはっと我に返ることが出来ます。
自覚することができ、納得感を味わうことが出来るのです。
そこで、あらためて自分のことを知ることができ、
「私って変わっていていいのね」と、個性として認めることが出来てくるのです。
ここが面白い~~
私は、そんな一面を感じ取れた瞬間瞬間に、このヒューマンデザインの面白さと、素晴らしさを感じます。
是非、あなた自身が、自分自身の納得がいく人生を経験してみてください。