私は、常にクリアでいたいと思うのです。
このクリアっというのは、綺麗で濁りがなく、ということではなく、悩み悲しんで、たとえ怒っていたとしても、常に自分に対して素直で「正直」でありたいという気持ち。そして、それをしっかりと受け取ることが出来る「誠実」さを持つということ。
だから、自分の中にある「情熱」を「真摯」に受け止め、「いたわり」の心と「感謝」の気持ちを持つことで、さらに自分の「創造性」を磨きあげ、「喜び」あふれる人生を歩んでいくということ。
それは自分の「理想主義」を「自制心」をもって「識別」し、「目的意識」をはっきりと「勇気」を持って「決意」し、常に「節度」あるゆとりの心を持つことで、「柔軟」性と「辛抱強さ」を兼ね添えたなら、「奉仕」の心で人々と「共感」することが出来るのだと。
「気転」は心を豊かにしてくれます。「正義」は「友好」の印。
「慎み」あい、「協力」を得ることは自分自身のさらなる精進と己の心を「寛容」にしてくれる。
「謙虚」さを学ぶことによって、他の人と自分の間に「やすらぎ」をもたらしてくれる。
それは自分自身の「コミットメント」であり、「尊敬」しあい、「ゆるし」をこうこと。
”いらないものと、いるもの”をキチンと区別し「整理整頓」できたなら
「和」を持って「信頼」の「愛」を注ぐことが出来るのだと。
自分の「自己主張」は他の人との「思いやり」の中で生まれてきたなら、それは自分自身を最大に活かすことが出来るヒントとなる。
自分を「理解」することで、「自信」を得、「忍耐」強くいることが出来る。
人に「礼儀」をおもんじ、「感謝」の気持ちを表すことは、それは自分にとっての「名誉」となり、「いたわり」をもって「誠実」につくしていければ、「無執着」な「愛」を表現することが出来る。
そんな人でありたいと自分は思うのです。